静動

校長メッセージ

 秋田県立横手高等学校のwebサイトにようこそおいでくださいました。
 令和7年4月に校長を拝命いたしました高橋透と申します。

本校の歴史
 本校は明治31年、1898年に秋田県第三尋常中学校として創立し、その後、秋田県第三中学校、秋田県立横手中学校、新制の秋田県立横手美入野高等学校を経て昭和30年に秋田県立横手横手高等学校と改称して現在に至ります。120年を超える長き伝統を有し、県内はもとより国内外で活躍する多くの人材を輩出してきました。令和6年度には文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール第2期の指定を受けました。この取組を通じて本校の生徒は、データサイエンスを基盤とする探究学習に励み、デジタルトランスフォーメーションが急速に浸透していく現代社会で力を発揮できる人材へと成長を遂げています。
 本校定時制課程は昭和23年に創立となった秋田県立横手工業高等学校定時制課程を源としております。昭和40年から秋田県立横手東高等学校として独立いたしましたが、平成6年の同校閉校に伴い再び横手工業高等学校へ移管され、平成18年から秋田県立横手高等学校定時制課程となりました。平成20年に現校舎、青雲館に移転し現在に至ります。当地は、横手駅至近の便利な場所にあり、秋田県立衛生看護学院と一体の校舎であります。10月入学・9月卒業も可能なほか、希望により3年間で卒業可能な制度(三修制)を設け、午後から夕方にかけて学ぶⅠ部と、夕方以降から授業が始まるⅡ部を設置しております。多様な学びを提供する学校として近年いよいよその存在感を高めているところであります。

奥羽道中
 本校敷地(裏山)の一角に大きな石碑があります。そこには、こう刻まれています。

 奥羽道中 榎本武揚
 碧血痕在舊戰袍 壯圖一蹶氣猶豪 松陰涼動羽州路 白雪摩天鳥海髙 

 石碑の銘文に「明治二年六月上旬、羽州街道を護送される途中、本校裏山の松陰より鳥海山を望んで詠んだもの」とあります。本校の敷地西側は、台地状に一段高くなっており、そこを「裏山」と称しているのですが、函館開城後、東京に護送されていく榎本武揚が見たものと同じ鳥海山の姿を今も本校裏山から望むことができることに感銘を受けます。

校歌 
 土井晩翠作詞の校歌冒頭に「鳥海御嶽の秀づる雄姿 前後に仰がん 我らが校舎」とあります。西側には鳥海山、校舎東側の窓からは御嶽山の雄大な姿を見ることができます。本校生徒は、この二つの山の堂々たる姿から「微塵を集めて 虚空を凌ぐ」の教えを受け、学業、地域貢献、部活動等、様々な分野でたゆまず力強く進んでくれております。 

 このような頼もしい生徒たちから日々元気をもらっております。
 生徒と教職員が元気に学び、働ける学校を目指し、微力ながら努めて参る所存です。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

 

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